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静岡県紅葉情報2016
(写真は2015修善寺)
秋の深まりとともに、木々の装いも彩豊かに変化していき、
だんだんと静岡県内でも紅葉が見ごろを迎えます。
(写真は2014年修善寺)
紅葉情報は下記をご参考に。
紅葉情報 日本気象協会
雪化粧をした 富士山 、夕日、・・・そして静岡の美味しいもの
とともにお楽しみください。
是非 i静岡県にお泊りにいらしてください。
ふじのくにしずおか ホテル旅館 女将 あけぼの会組合事務局
富士山と「大生部多」の話
今から約1370年の昔、日本書紀第24巻の皇極記にでてくる富士山麓に住んでいた大生部多(おおふべのおお)の少し変わったお話を紹介したいと思います。
原文は、漢文でとても読みにくいので、やや正確さを欠くかもしれませんが意訳すると次のとおりです。
東国の不尽河(富士川)のほとりに住む大生部多は、虫を祀(まつ)ることを村里の人に勧めて言いました。「これは常世(とこよ)の国の神。この神を祀るものは富と長寿が得られる」。男女の神官たちも、人々を欺いて神の言葉に託して「常世の神を祀れば、貧しい人は富を得て、老いた人は若返る」と人々に家の財宝を捨てさせた。人々は酒や野菜、家畜の肉を道ばたに並べ、「新しい富が入って来た」と浮かれていました。
都の人も田舎の人も、常世の虫を取って、清らかな場所において、歌ったり踊ったり、珍しい宝を棄捨しました。それで得られるものがあるわけもなく、損失が多くなるばかりでしたので、山城国葛野郡(現在の京都市右京区あたり)の秦造河勝(はたのみやつこかわかつ)は人々が惑わされているのを憎んで、大生部多を打ちこらしました。神官たちも恐れて、祀ることを止めました。その当時の人は次のような歌を歌いました。「太秦(秦造河勝)は 神のなかの神と聞える 常世の神を 打ちこらしたのさ」
この常世の虫は、橘や山椒に付く長さ四寸、大きさは親指ほど、色は緑色に黒い斑点があって、形は蚕に似ている。
以上が日本書紀に記された物語です。この話の中に出てくる「常世の虫」は、柑橘類につくアゲハチョウの幼虫ではないかと言われています。「常世の国」は、古代日本で信仰された、海の彼方にあるとされる一種の理想郷で不老不死や若返りなどと結び付けられ、同じく「日本書紀」の垂仁紀では、垂仁天皇が田道間守(たじまもり)を常世国に遣わして、不老不死の薬となる「非時香菓(ときじくのかくのこのみ)」を求めさせたが、その間に天皇は崩御したという記述があります。
この時、常世国に求めた木の実が「今橘と謂ふは是なり」とあって、この時代には橘(以下表記を「タチバナ」とする)のことと考えられていました。
静岡県史には、現在の富士市の田子の浦港と浮島沼の一帯は、富士の広大な裾野に加えて、駿河湾と富士川、浮島沼などの沼沢地があってさまざまな自然の産物をもたらす聖徳太子とゆかりのある「稚贄屯倉(わかにえみやけ」、全国におかれた皇室の直轄地のひとつであったといいます。
ここから先は想像です。大生部多は、タチバナが常世の国からもたらされ、それに付いて来たアゲハチョウの幼虫を常世の国から来た神と認識したこと。もう一つ想像をたくましくすると、すでに静岡県の富士川のほとりはタチバナをはじめ柑橘類の植物が栽培され、大生部多もそれに携わっていたのではないかと思われます。
当時は、現在の静岡県はもちろん、神奈川県から茨城県まで広いエリアでタチバナが栽培されていたことは、現在に残る地名や風土記などから推測されています。今も、駿河湾に面し、温暖な気候に育まれた沼津市西浦地区は西浦みかんのブランドで有名ですし、戸田には国内最北限のタチバナの自生地がありますが、その当時の名残ではないかと思われたりします。
この話の中に突如出てくる秦の河勝は、聖徳太子から仏像をもらって京都の太秦の広隆寺にお祭りしたという歴史上著名な、聖徳太子にゆかりの深い人物です。
この大生部多が「常世の虫」を祭る事件を起こしたのが西暦644年。前年には、聖徳太子の子供である山背大兄王子が蘇我氏の軍勢に責められ自殺しています。
そして、翌645年は中大兄皇子と中臣鎌足が中心となって蘇我氏を滅ぼした歴史でおなじみの乙巳の変(いっしのへん)、その後の大化の改新へとつながっていて、日本書紀に記されているこのエピソードも、何かそのあたりと係わりがあったような気がしてなりません。
このような流れの下で、この宗教事件を考えると、大生部多が蘇我氏に山背大兄皇子を殺されて手をこまねいている秦河勝に対するあてつけと考えると得心が行く部分があります。芋虫を祭ったのは、秦氏の絹生産の「蚕」を揶揄するもの、常世の国信仰も聖徳太子から仏像を与えられ広隆寺を興している秦氏の「仏教」信仰に対する挑発、聖徳太子ゆかりの屯倉の人々は、山背大兄王子を失い、一時的に無主の民に近い環境にいたのではないか、などなどさまざまに妄想がわいてやみません。ちなみに、大生部多の事件を鎮圧したとされる秦河勝は、現静岡県知事川勝知事のご先祖様で、秦河(川)勝の御子孫は秦氏と川勝氏に分かれたとのことです。昔から静岡県との縁が深いと歴史の妙に驚かされます。
静岡県ホテル旅館生活衛生同業組合 専務理事 府川博明
自転車を載せて路線バスで天城峠、河津へ
自転車を載せる棚「サイクルラック」を取り付けた路線バスの運行が九日から、
東海バス天城線の湯ケ島(伊豆市)-踊り子温泉会館(河津町)間で始まりました。
自転車の積載は、湯ケ島-踊り子温泉会館間のバス停十二カ所で無料で利用可能。
ラックはバスの前方に設置し、二台まで運べます。
運行ダイヤの問い合わせは、新東海バス〈電0558(72)1841〉へ
伊豆湯ヶ島 白壁荘 女将 宇田倭玖子
「ラブライブサンシャイン」の聖地巡礼って?!
沼津市・三津地区は、アニメ「ラブライブサンシャイン」の舞台となっていて
物語の舞台やモデルとなった地を巡る、”聖地巡礼”で賑わいつつあります。
そこで、三津旅館組合では、私どもの旅館を含めた7つの施設で 『パズルラリー』を
開催し(期間2016.10.15~2017.2.28)、コンプリート証明書を発行することになりました。
沼津・三津地区ではほかにも、電車やバス、フェリーでラブライブサンシャインの
ラッピングバージョンが登場していますよ。
美味しいお魚や、これからもっと美しくなる富士山をご覧に、 是非 お越しください。
沼津市三津浜 松濤館 女将 北野美和子
10.26初冠雪となりました
今朝は昨夜の雨のおかげで空気が澄んでいます。
とても富士山がきれい!
そして、昨日の寒さでやっと今朝、初冠雪を迎えました。
頭にちょこんとハンカチを載せたくらいでしょうか
風が吹いたら舞ってしまいそうな静岡県側の富士山です。
明日27日から、右の建物
静岡県コンベンションアーツセンター グランシップにて
世界お茶まつり2016秋の祭典 が開催されます。
お茶にまつわる 音楽、香、花など様々なイベントが開催されます。
こちらは10.09の写真です
ふじのくに静岡 ホテル旅館 あけぼの会 事務局
食欲の秋は スイーツのまち藤枝 へ。
秋は、芸術、音楽、スポーツそしてやっぱり食欲の秋!ですよね。
(写真2枚は 真茶園さん)
(こちらは ななやさん)
茶処静岡県の中でも、有数の地域である藤枝市では、スイーツのまち藤枝 として
お茶製品だけでなく、地元素材や伝統・技が受け継がれるスイーツで町おこしをしています。
お店の近くまでいくと、お茶のいい香りがしてきます。
是非、おいしく楽しく街歩き をなさってみてはいかがですか?
ふじのくにしずおか ホテル旅館女将 あけぼの会 事務局
エアフェスタ浜松(空の祭典)
10月16日(日)浜松市の航空自衛隊浜松基地 にて
「エアフェスタ浜松 2016 」が開催されます。
ブルーインパルスによる曲技飛行や、さまざまな展示があり、
毎年大盛況です。
こちらは以前に撮影した海上そばのエアパーク(広報館)での写真です。
(当日の会場はエアパークではございませんので、ご注意ください)
詳細は こちらからどうぞ⇒ エアフェスタ浜松2016
ほか、無料展示施設はこちら ⇒ エアパーク(広報館)
秋の高く鮮やかな大空が舞台の 航空ショー が見られるチャンスです。
是非、お越しください。
ふじのくにしずおか ホテル旅館女将 あけぼの会 事務局
平成28年は3年に一度の 「島田大祭」 開催年!
静岡県指定無形民俗文化財でもある「島田帯祭」で知られる島田大祭が、
10月8日・9日・10日の3日間に渡り、島田市にて開催されます
見どころの一つは、安産祈願が由来とされる大奴の練り歩きです。
嫁いだ女性の大切な丸帯を、25人の大奴が左右にさした1.8メートルほどの大太刀に、
帯を掛け練り歩きます。
厳かで勇ましい、そして優美さも併せ持つお練りです。
ほかにも、同じく無形民俗文化財の鹿島踊りや、屋台踊りなどなど、見応えがありますよ。
是非、ご覧いただきたいお祭りです!
ふじのくに静岡 ホテル旅館女将 あけぼの会事務局
富士山と田子の浦
田子の浦の名は、万葉集に納められた山部赤人の「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ
富士の高嶺に 雪は降りける」の歌で有名です。
その田子の浦も1960年代から70年代前半にかけては、ヘドロ汚染による公害問題で全国的に
その名が知られることになったのですが、今は田子の浦漁協の「生しらす丼」の新鮮な味覚が
観光客をひき寄せるなど、環境改善が進み本来の姿を取り戻しています。
このように田子の浦の地名は、現在の富士市田子の浦港付近と思われそうですが、昔は今より
広い範囲を指していたようです。ちなみに、先の山部赤人の歌は、西から東に向かって薩埵
峠を越え由比あたりの海岸線に出たときの感動を歌ったものと解釈されているようです。した
がって、静岡市清水区の薩埵峠あたりから由比、蒲原あたりまでの海岸も田子の浦と呼ばれて
いたとされます。
この歌は、峠を越え海岸線に出た瞬間に目の前に現れる富士の威容を思い浮かべれば納得です。
ただし、この歌の情景は、ほかにも解釈のしようがありはしないかと個人的には思っています。
例えば、11世紀の中ごろに記された菅原道真の子孫にあたる菅原孝標のむすめが記した更級
日記には、「田子の浦は浪高くて、船にて漕ぎ巡る」とあります。山が海に迫っているこのあた
りの海岸線は、今でも波が高い台風の時などは海岸線を走る東名高速道路が通行止めになります。
当時も波が高いと海岸線を歩くことが危険なため、海の荒れた日にはかえって船に乗って通り過
ぎたことがこの日記などからも推測できます。したがって、山部赤人が現在の興津あたりから
田子の浦あたりを船で移動したとも考えられ、駿河湾からの雄大な富士の姿に感動して詠んだ歌
と考えると、違った意味で富士の威容に対する感動を共有できそうです。
現在は、静岡市の清水港と伊豆市の土肥港を65分で結ぶカーフェリー「駿河湾フェリー」が運航し
ています。平成25年4月からはこの航路が静岡県道223(ふじさん)号となっていて、天気がよけ
れば駿河湾上に昔に変わらない雄大な富士山を眺めることができます。
この船の発着地の清水港と土肥港の線の富士山側が大まかに言って、昔の田子の浦ということ
ですが、土肥港にほど近いこの線の外側の同じ駿河湾内の西伊豆町にも田子という地名があります。
一般的には、「田子」は田を耕す人で農民のことですが、古代には西伊豆町も由比、蒲原から富士
近辺も稲作に適するような地域ではなく、むしろ漁業が主体の地域と思われます。
字は異なりますが、古い石碑として有名な群馬県高崎市の「多胡碑(たごのひ)」は、通説では
「多くの渡来人」あるいは「多様な出身地の渡来人が居住する地」という意味で、約千三百年前に
「多胡郡」が新たに設置されたことを記したものとされています。
7世紀以降、朝鮮半島から百済や高句麗、新羅の人々や中国系を称する秦氏の民などが日本に渡
来し、日本書紀や続日本紀には、これらの人々を関東中心に集団で移住させたという記事が頻繁に
みられます。
西伊豆町の場合も、式内社伊豆國那賀郡哆胡神社が存在するなど、もともとは多胡であったと思わ
れます。歌に詠まれた田子の浦も同様でないかと想像されます。
このほか、天智2(663)年8月の朝鮮半島の白村江の戦いは、倭国・百済遺民の連合軍と、唐・
新羅連合軍との戦いですが、静岡市清水地区を本拠とした廬原国造(いおはらのくにのみやつこ)
一族の「庵原の君臣(きみおみ)」が1万人の兵士を引き連れて参戦しています。今に残る清水区の
駒越の地名は、海外に渡った人たちの住んでいた地を表すか、もしくは敗れた百済人などが多く帰
化し、コマ(高麗)が地名として残ったものかもしれません。山梨県の巨摩、東京の狛江なども同じ
と言われています。
このようなことから、7~8世紀の静岡県は、大変国際的な色彩の色濃い地域であったように考え
られます。
いずれにしても、これらの地がそれぞれに美しい富士をまじかにできる景勝の地であったことは、
遠い故国を離れ、新しい土地に住むこととなったこれらの人々の心を慰めたことと思われ、この地
に新たに住むことになった人々に富士山への強い憧憬の念を引き起こしたと想像されます。
静岡県ホテル旅館生活衛生同業組合 専務理事 府川博明
熱海 「湯まつり」が開催されます
10/1(土)・2(日)温泉と湧出する泉脈に感謝し、湯前神社秋季例大祭が開催されます。
お祭りでは、江戸城の将軍様までお湯を運んだという故事にちなみ、湯汲道中が再現されます。
温泉のほかにも 秋のアートを楽しんじゃうイベントも 開催です。
(会期は 10月1日(土)~12月4日(日))
市内の観光施設や宿泊施設で、アート作品の展示や音楽などが体感でき、
芸術の秋をお楽しみいただけます。
もちろん、食欲の秋も満たされちゃいます!
是非、お出かけください
ふじのくにしずおか ホテル旅館 女将 あけぼの会 事務局