富士山

富士山と「大生部多」の話

今から約1370年の昔、日本書紀第24巻の皇極記にでてくる富士山麓に住んでいた大生部多(おおふべのおお)の少し変わったお話を紹介したいと思います。

原文は、漢文でとても読みにくいので、やや正確さを欠くかもしれませんが意訳すると次のとおりです。

 

東国の不尽河(富士川)のほとりに住む大生部多は、虫を祀(まつ)ることを村里の人に勧めて言いました。「これは常世(とこよ)の国の神。この神を祀るものは富と長寿が得られる」。男女の神官たちも、人々を欺いて神の言葉に託して「常世の神を祀れば、貧しい人は富を得て、老いた人は若返る」と人々に家の財宝を捨てさせた。人々は酒や野菜、家畜の肉を道ばたに並べ、「新しい富が入って来た」と浮かれていました。
都の人も田舎の人も、常世の虫を取って、清らかな場所において、歌ったり踊ったり、珍しい宝を棄捨しました。それで得られるものがあるわけもなく、損失が多くなるばかりでしたので、山城国葛野郡(現在の京都市右京区あたり)の秦造河勝(はたのみやつこかわかつ)は人々が惑わされているのを憎んで、大生部多を打ちこらしました。神官たちも恐れて、祀ることを止めました。その当時の人は次のような歌を歌いました。「太秦(秦造河勝)は 神のなかの神と聞える 常世の神を 打ちこらしたのさ」
この常世の虫は、橘や山椒に付く長さ四寸、大きさは親指ほど、色は緑色に黒い斑点があって、形は蚕に似ている。

 

以上が日本書紀に記された物語です。この話の中に出てくる「常世の虫」は、柑橘類につくアゲハチョウの幼虫ではないかと言われています。「常世の国」は、古代日本で信仰された、海の彼方にあるとされる一種の理想郷で不老不死や若返りなどと結び付けられ、同じく「日本書紀」の垂仁紀では、垂仁天皇が田道間守(たじまもり)を常世国に遣わして、不老不死の薬となる「非時香菓(ときじくのかくのこのみ)」を求めさせたが、その間に天皇は崩御したという記述があります。

この時、常世国に求めた木の実が「今橘と謂ふは是なり」とあって、この時代には橘(以下表記を「タチバナ」とする)のことと考えられていました。

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静岡県史には、現在の富士市の田子の浦港と浮島沼の一帯は、富士の広大な裾野に加えて、駿河湾と富士川、浮島沼などの沼沢地があってさまざまな自然の産物をもたらす聖徳太子とゆかりのある「稚贄屯倉(わかにえみやけ」、全国におかれた皇室の直轄地のひとつであったといいます。

ここから先は想像です。大生部多は、タチバナが常世の国からもたらされ、それに付いて来たアゲハチョウの幼虫を常世の国から来た神と認識したこと。もう一つ想像をたくましくすると、すでに静岡県の富士川のほとりはタチバナをはじめ柑橘類の植物が栽培され、大生部多もそれに携わっていたのではないかと思われます。

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当時は、現在の静岡県はもちろん、神奈川県から茨城県まで広いエリアでタチバナが栽培されていたことは、現在に残る地名や風土記などから推測されています。今も、駿河湾に面し、温暖な気候に育まれた沼津市西浦地区は西浦みかんのブランドで有名ですし、戸田には国内最北限のタチバナの自生地がありますが、その当時の名残ではないかと思われたりします。

この話の中に突如出てくる秦の河勝は、聖徳太子から仏像をもらって京都の太秦の広隆寺にお祭りしたという歴史上著名な、聖徳太子にゆかりの深い人物です。

この大生部多が「常世の虫」を祭る事件を起こしたのが西暦644年。前年には、聖徳太子の子供である山背大兄王子が蘇我氏の軍勢に責められ自殺しています。

そして、翌645年は中大兄皇子と中臣鎌足が中心となって蘇我氏を滅ぼした歴史でおなじみの乙巳の変(いっしのへん)、その後の大化の改新へとつながっていて、日本書紀に記されているこのエピソードも、何かそのあたりと係わりがあったような気がしてなりません。

このような流れの下で、この宗教事件を考えると、大生部多が蘇我氏に山背大兄皇子を殺されて手をこまねいている秦河勝に対するあてつけと考えると得心が行く部分があります。芋虫を祭ったのは、秦氏の絹生産の「蚕」を揶揄するもの、常世の国信仰も聖徳太子から仏像を与えられ広隆寺を興している秦氏の「仏教」信仰に対する挑発、聖徳太子ゆかりの屯倉の人々は、山背大兄王子を失い、一時的に無主の民に近い環境にいたのではないか、などなどさまざまに妄想がわいてやみません。ちなみに、大生部多の事件を鎮圧したとされる秦河勝は、現静岡県知事川勝知事のご先祖様で、秦河(川)勝の御子孫は秦氏と川勝氏に分かれたとのことです。昔から静岡県との縁が深いと歴史の妙に驚かされます。

 

静岡県ホテル旅館生活衛生同業組合 専務理事 府川博明

2016-11-16 | Posted in 富士山Comments Closed